おしらせ
未来へのメッセージ JA県果実連会長・浦田勝氏(旧29回)
[2016-09-08]
九州学院105年・未来へのメッセージ
「省力化と所得向上を」
毎日新聞2016年8月28日
JA熊本果実連会長・浦田勝さん(91)
<現在、JA熊本果実連合会会長として力を入れていることは>
農村の省力化と中山間地域の所得の向上を図ることだ。農村は高齢者の皆さんが増えている。若い人たちは景気が良くなり、農村から出て行っている。農業に魅力を感じない人が若者の間に増えてきた。(多くの若者が集まる)東京はオリンピックを控えており、雇用もある。
<熊本はデコポンやバンペイユなどブランド力のあるかんきつ類があり、競争力はあると思う>
今期は値段が良かった。バンペイユも評判が良い。ただ、デコポンを作っているのは熊本だけではなく、負けてはならない。熊本の果樹は絶対負けないという自信を持っている。加工もだ。
<ミカンは和歌山や愛媛に競争力がある>
熊本のミカンは負けない。若手の後継者がだんだん少なくなっているのが怖いが、質は向上してきている。自慢して良いと思うけれど、本格的な施設農業を行う必要がある。そのためには集落が一体となって農業をやらなければならないし、お互いが助け合わなければいけない。(将来的には和歌山や愛媛に)勝ちたい。
<「負けてたまるか」という気持ちを感じさせる言葉が多い>
私は「負けじ魂」が徹底している。熊本の生産者も負けじ魂がみんなある。
<「負けじ魂」は九州学院で培われたのか>
九州学院はやはり寛容の精神だ。人を見捨てない。「情にもろい」と私は言われるが、言われてもいい。
<どのような校風が好きだったか>
九州学院は教師が人を見捨てない。先生と生徒の間で、なじみが深くなっていく。私は九州学院で故稲冨肇先生(第2代院長)と出会った。「稲冨先生の息子さん」って言われてね。悪いことをしたら、稲冨先生の自宅で謹慎だった。「恩師」という言葉は良い。稲冨先生は建学の精神をずっと受け継いでこられた。
<恩師との出会いが、今につながっていると思うか>
頼ってくれば、私は人を見捨てなかった。恩師という言葉が今は消えてしまった。恩師という言葉を聞かない。先生の自宅に行くのも良いものだった。昔は豪快な先生が多かった。私は本当に稲冨先生を尊敬していた。先生は寛容の精神を持っており、とことん人を見捨てなかった。ああいう人はもう出てこない。【中里顕】
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■人物略歴
玉名市出身。九州学院を卒業後、1959年に県議に初当選。6期務め、76年に議長に就任した。83年の参院選に初当選して国政入り。労働政務次官などを歴任した。99年から現職。昨年には玉名市名誉市民となっている。