おしらせ
「未来へのメッセージ」 藤本一精氏(S36回卒)
[2016-09-30]
敬天愛人
九州学院105年・未来へのメッセージ
「笑顔になるもの懸命に」 ...
タレント・藤本一精氏(S36回卒) /熊本
毎日新聞2016年9月18日 地方版
<柔道が縁で九州学院中に入学しました。その後6年間は柔道漬けの毎日でした>
小学校の頃から柔道をしていましたが、6年生の時に声をかけられて中等部で練習をしました。そのまま九州学院中に入学した後は部活の記憶しかありません。朝練後に授業を受けて夜8時くらいまで練習して。毎日きついし、苦しかった。柔道は格闘技だから、投げられるし、締め落とされる。母親に100回はやめたいと言いましたね。
<柔道を通じて学んだことは今の自分の礎となっている>
一番印象に残っているのは高校2年の新人戦県大会の団体戦。重量級と無差別級で全国大会優勝経験のある選手に自分が勝って、チームは優勝しました。あの時はやればできると感じました。勝つことの喜びと負けることの悔しさ。そして一つのことを長く続け、その苦しみの先に何倍もの喜びがあるんだと柔道で学ばせてもらいました。当時の同級生や先輩、後輩とは今も付き合いがあります。
<高校3年に柔道をやめた後はダンスを始め、コンテスト優勝をきっかけに福岡のテレビ局などに引っ張りだこになりました>
当時はディスコブーム。熊本にもたくさんあったディスコで踊りと出会いました。当時の九州学院は男子校で、中学高校の思春期を男子ばかりで過ごしていた。まぁ、モテなくて。モテるにはどうしたらいいかと考えて、「踊ればいいんだ」と始めました。卒業後は日本電信電話公社(現NTT)に入社しましたが、午後5時に仕事が終わるので、朝方まで下通(熊本市中央区)など路上でダンスを練習しました。22歳の時に九州のダンスコンテストで優勝すると、「ワンポイントダンスレッスン」で熊本のテレビ局に呼ばれるようになった。フジテレビで放映されていた番組「ダンスダンスダンス」で優勝すると、次第に福岡でもテレビやイベントに呼ばれるようになりました。
<現在は福岡を中心にタレント活動を行い、ダンススタジオやタレントプロダクションも経営している>
僕は手の届かない目標は立てない。ダンスもタレント活動も一つずつ目標を立て、達成したら次の目標を立ててきました。今は好きなことで生活ができていて感謝しています。愛を注げば仕事になるし、その方が人生は楽しい。高校生には一日でも早く自分が笑顔になれるものを見つけてほしい。それを一生懸命やることが一番です。【出口絢】
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■人物略歴
ふじもと・いっせい
熊本市出身。九州学院中・高を卒業後、日本電信電話公社(現NTT)に入社。ダンスをきっかけにテレビ出演を始めて、現在は福岡、熊本を中心にテレビ番組やイベントの司会などで活躍している。1997年にタレントプロダクション「ジェッツカンパニー」を設立。