九学メモリー

  • 初代院長 遠山 参良 先生

    1911(明治44)年3月~1932(昭和7)年10月

     遠山参良院長は神の導きにより創立者ブラウン博士と列車の中で出会い、そのことによって九州学院の初代院長に就任することになった。
     院長は秀でた学者であるばかりでなく、その情熱と高潔な人格、また卓越した見識により、多くの人々の尊敬を集めた。
     1910(明治43)年に開校の認可が下り、翌1911(明治44)年4月に第一回の入学生を迎え、学院はスタートした。
     遠山院長は、生徒に対し、「諸君は紳士として取り扱うから、各自は皆、己れ自らを監督せねばならない。」「役に立つ善人となれ。」としばしば口にし、これは現在学院の教育目標となっている。
  • 二代院長 稲冨 肇 先生

    1932(昭和7)年10月~1946(昭和21)年3月

     稲冨肇院長は初代の遠山院長と同じく、米国留学の経験をもつ教師であった。
     院長が就任当初より、最も重要なこととして取り組んだのが、創立以来の念願である米国ルーテル教会からの経済的な自給独立の達成であった。
     いっぽう、生徒への教育においては、迷える子羊を救うことこそ学院の指命であるとして、生徒を徹底して擁護するという姿勢を貫いた。
     しかし、戦争という時代がさまざまな苦難を学院に強いることになった。九州学院から九州中学校への校名の変更、あるいは校章の変更などは、その象徴的なものである。
     学院はこの苦難を、稲冨院長及び教職員や生徒の多大な努力によって乗り切った。
  • 三代院長 川瀬 清 先生

    1946(昭和21)年4月~1966(昭和41)年3月

     1945(昭和20)年、戦後の新たな歩みが始まった。その歩みを若くして任され、その後20年の長きにわたって学院を指導したのが、川瀬清院長であった。
     戦後の新しい教育制度のもとで「キリスト教主義に基づく」という一句を学則に入れ、戦時中の校名である九州中学校を、元の九州学院へ戻し、学校法人への組織替えを行った。また、1951(昭和26)年には大学設置をにらんだ英語専攻科も発足した。1950(昭和25)年には陸上部が初の全国制覇を成し遂げた。
     また、学院主事として長くキリスト教教育をリードしてきたミラー夫妻の米国への帰国、創立40周年および50周年記念式典と事業、そして1953(昭和28)年6月26日の大水害罹災とその復旧、みどり幼稚園の九州学院への移管などもこの時期の出来事である。
  • 四代院長 池永 春生 先生

    1966(昭和41)年4月~1977(昭和52)年3月

     川瀬前院長の理想であるキリスト教主義に立った全人各教育を引き継いだのが池永春生院長である。「ひげの院長」として親しまれたが、教育に対しては真摯でかつ厳しい姿勢で臨んだ。
     この時期に、施設面の整備として、1968(昭和43)年に総合体育館、1970(昭和45)年に敬愛寮(東棟)、さらに創立60周年記念事業として、特別教室等(現2号館)も竣工した。 また、これまでの学院の教育が大きな評価を得始めたのもこの時期のことである。ひとつには文部省より「永年保健体育指導研究優秀校」として表彰を受けたこと、いまひとつは高松宮杯中学校英語弁論大会での実績が認められ、「英語教育優秀校」として県下で初めて全国表彰を受けたことであった。
  • 五代院長 齊藤 堅固 先生

    1977(昭和52)年4月~1985(昭和60)年3月

     齊藤堅固院長は親子二代にわたって学院に奉職した教職員の中の一人であった。
     院長は学院の特色をさらに伸ばす多くの試みを行った。そのひとつは、国際交流を進めるために、春休みを利用してのホームステイを中心とする訪米研修旅行の開始である。これは、学院の設立母体であるアメリカのルーテル教会の協力で実現した。いまひとつは、ブラウン記念講堂の修復保存や70周年記念事業を中心として行ったみどり幼稚園の新築移転、徳王グラウンド(野球場、球技場)の竣工、さらに九学会館(同窓会館)の竣工など施設の充実であった。こうした施設面の充実をうけ、クラブ活動の全国的活躍が目立った時期でもあった
  • 六代院長 西 一郎 先生

    1985(昭和60)年4月~1994(平成6)年3月

     西一郎院長は、その情熱溢れる姿勢で、学院の教育の特色をさらに伸ばし発展させる試みを行った。
     施設面の整備としては、敬愛寮西棟、多目的棟(現3号館) の建築などを行った。また、国際交流をさらに発展させるため、1990(平成2)年には、オーストラリアのインマヌエル・カレッジとの姉妹校締結による留学生の交換、研修旅行団による相互訪問などを開始した。
     また、新しい伝統を築く大きな試みとして、創立80周年を期し男女共学制の実施に踏み切った。しかし、施設面や他の私立学校への配慮から、高校では国公立コース、英語コースに限定してスタートした。
  • 七代院長 土山 研三 先生

    1994(平成6)年4月~2002 (平成14)年3月

     土山研三院長が取り組んだのは、男女共学制をいっそう拡充することであり、さらに老朽化してきた施設の整備や、新たな国際交流の試みなどである。
     施設の整備としては、1995(平成7)年に全天候型トラック、1999(平成11)年には屋内プール、徳王グラウンドの屋内野球練習場とハンドボールコートが竣工した。さらに、90周年記念事業のひとつとして1号館(本館)のリニューアル工事、体育館の改修・整備などを行っている。 
     また、国際交流と平和教育を目的として、高校は中国研修旅行(英語コースは訪英研修旅行) 、中学校は韓国への研修旅行を開始した。
  • 八代院長 内村公春 先生

    2002(平成14)年4月~2014 (平成26)年3月

     内村公春先生は、中長期計画の策定・推進に尽力し、創立の精神に基づき本学院が行う21世紀の教育のいしずえを形成している。
     施設関係では、2003(平成15)年に新4号館と体育館横部室倉庫棟を竣工、2004(平成16)年に1号館にエレベーターを設置、2007(平成19)年には遠山参良初代院長の顕彰費を万日山から校内に移転した。さらに百周年記念事業として2010(平成22)年に2号館を改修し、創立百周年を迎える2011(平成23)年に百周年記念体育館を竣工した。